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考えてしまう、俺が、すべて受け入れなければならぬ釜なのか

俺が生きた釜は暖かい、ココ三年で急激に変った、それまでもっとのんびりした人間もいた
今は口惜しいけどいない、俺と朝まで飲んで二人とも無いからセンターに行き五時の、シャッターがあくのを待ち
二階の食堂で朝飯食べ、手配しと交渉 現金仕事に仲間と行った、相手の配慮は俺はした
俺は25歳の時釜を出たいと一番考えた時この年を越えると、あきらめ、が出てくる
でも俺はこの年で釜を出られんかったんだ、俺にしたらこのとき一つの夢が消えた
で1979年ごろ釜ヶ崎解放会館の釜食堂に、行くようになり、組合に初めて入った
25歳になり自分が思うようにいけなくなりでも、このままの人生で俺は終わりたくなかったんだして
何でもいいから何か俺でみんなに喜んでもらえることがあるんじゃと思い入った
みんなは俺を悪くy言う、でもいいんだ、俺は世間師で釜のみんなに人間としての誇り持ってほしい

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