イベント情報

日記

作品&プロジェクト

自分で支えた59年 なんもうれしかでも 今でもひとりの日雇で生きてるアンコ や、文句があるんか、バカたれが

俺はバカたれは権力者である行政である西成警察や市立更正相談所のことを言ってる
もちろん下品だがみんな許してくれ
何故なら
こんな言葉は俺は、使いたくない
でもなんで俺が使うか判るか、そこには差別がや偏見があったんだ。俺の経験から言う俺は釜ヶ崎に来たのは1972年の7月頃だ
俺は北海道の自衛官だった、自衛隊に入った動機は人との対話ができない自分を変えたかったし大型の免許が欲しかったから入隊したんだ
20歳で自衛隊にに入り18歳の子が多かった、もともと俺は、末っ子だから弟みたいなガキは知らんかった
だからそいつらに俺は人生の先輩何や言う事聞かんヵいと言っただけど自衛隊の組織としたら縦社会なんだ
俺は組織の班長に言われた
井上2士、なにを考えてるんじゃ
わしも言ったわしは自衛隊に入ったは大型免許が取りたいんとみんなとの付き合いがうまくやりたいんじゃ

班長はおれにこう言った井上2士、ここは組織でありいざという時お前も俺も国民のために命をすてて
でも守るンだ
俺も其のごろの思想が右翼的で変な意味でなく純粋に人の役にたちたいとと思ってた
其の頃ひとを殺そうとひそかにかんがえたひとを殺すのはいつでもできるし簡単
でも俺は考えた殺された家族がどんな思いをするか
でもできない自分があり
それが俺であり止めた、今のきもち
今生きトンじゃ、ぬかすなって感じ
1972年自衛隊で俺は上等兵に喧嘩を売った、相手は運動もできみんなの人望も熱い奴、格下のバカが何故負けると判って喧嘩を射掛けたのは何でか皆さんわかるかなこのできごと
1972年浅間山荘事件のころ、とにかく赤軍派とかおれのだいきらいな
もの
判る人、コメントして欲しい

カテゴリ

このページのトップへ