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2011年度日本寄せ場学会総会博覧会と都市暴動「釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る」のご案内

2011年度日本寄せ場学会総会
博覧会と都市暴動 釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る


どなたでも参加できます(予約不要・直接お越しください)

 

201172日(土)、3日(日)


場所:西成市民館3階講堂(大阪市西成区萩之茶屋2-9-1
3日はフィールドワークとなります)

 

1日目(201172日(土))1300-1730

趣旨説明:原口剛(神戸大学)13001310
博覧会と都市暴動-釜ヶ崎における差別と抵抗の系譜を辿る

 196181日、車に轢かれた労働者に対する警察の差別的な処遇をきっかけとして、第一次釜ヶ崎暴動が勃発した。今年は、第一次暴動が勃発してから50年という節目にあたる。50年の歳月を経て、いま、釜ヶ崎の姿は大きく変わろうとしている。日雇労働者や野宿生活者の姿はますます見えなくなり、寄せ場は急激に縮小しつつあるのだ。だが一方では、「総寄せ場化」と称せられる現在的状況のなか、新たに再編された下層労働者が生み出されている。彼ら彼女らに対しては、かつての釜ヶ崎と変わることない差別のまなざしが注がれ続けている。いまこそ、わたしたちは釜ヶ崎に積み重ねられた差別と抵抗の系譜を辿り、下層から現代を照射する術を学ばなければならない。
 このような問題意識から、2011年度総会では二つのテーマを掘り下げる。その一つは、「博覧会」である。1903年に開催された第五回内国勧業博覧会は、釜ヶ崎が成立する契機となったイベントであった。また、人類館事件に象徴されるように、それは近代国家が沖縄のような周縁を植民地支配に組み込む装置でもあった。さらに80年代以降は、天王寺博覧会などの都市イベントが、野宿者排除を正当化する装置として働いた。博覧会をテーマとすることで、近現代を貫く差別と排除の機制を浮き彫りにすることができるだろう。
 そして冒頭でも述べたように、今年度は第一次暴動50周年にあたることから、二つ目のテーマとして「都市暴動」を掲げる。釜ヶ崎では、第一次暴動をはじめとする幾多もの暴動が積み重ねられてきた。こうした釜ヶ崎の暴動の系譜を辿ることによって、米騒動のような民衆の抵抗史を捉え直すことができるだろう。あるいは、現代の中東における蜂起といった民衆の抵抗へと連なる視点を切り開くことができるかもしれない。
 以上のように釜ヶ崎固有の地域的文脈である「博覧会」と「都市暴動」という個別的テーマを深め、架橋することによって、ひろく民衆の差別と抵抗を考えるきっかけとしたい。

釜ヶ崎大弾圧をめぐって-NDSからのメッセージ 13101330

講演1:水野阿修羅(日本寄せ場学会運営委員長) 13301430
博覧会と底辺社会

 博覧会がいつも政治的な意味を持っていることはよく語られているが、そこと底辺社会との関係はあまり語られていない。釜ヶ崎が今の場所に生まれることになったキッカケとして、第5回内国勧業博覧会の開催があることはよく知られたことだが、そこに、菅野すがや片山潜らが関わりを持っていたこと。彼ら彼女らが、長町とどう関わっていたか。借家人組合をつくった逸見直造が博覧会に店を出していたこと。「人類館」との関係はどうなっていたのか? 大原社会問題研究所の元となった石井十次の活動との関係は?「事実は小説より奇なり」のことば通り、謎が増えるばかりだが、地理的な問題より人間関係を重視した視点で博覧会と底辺社会を見つめ直してみた。車夫暴動や米騒動ともからみ、長町が今やメイドカフェやフィギュアショップがあふれる街に変遷する過程にもふれてみたい。
 次の日にフィールドワークをする予定。(平井正治さん追悼もこめて)

講演2:小柳伸顕(釜ヶ崎キリスト教協友会) 14301530
米騒動(1918)と第1次釜ヶ崎暴動(1961)から何を学ぶか

 ある事件が起きたとき、事件そのものの分析も重要だが、事件後何がなされたかを知ることも大切である。ここでは釜ヶ崎と深い関係にある二つの事件を通して考えてみたい。
 一つは、米騒動であり、いま一つは第1次釜ヶ崎暴動である。時代も背景も異なる。しかし、そこには共通はないだろうか。
 富山県魚津の漁民のおかかやおばばどもによって1918723日、「米を旅に出さんでくれ」を合いことばに始った米騒動の波は、事件後わずか19日で釜ヶ崎に到達した。「旅へ出すから、値が上って、おらども食べられんようになってしまうじゃ」。この願いから、811日、天王寺公会堂で国民党主催で「米価調節市民大会」が開かれ、大会後釜ヶ崎のおかあの提案でデモが起きた。これが大阪における米騒動の出発点であり、全国化への一歩と言えよう。騒動後、大阪市は、釜ヶ崎を中心に職業紹介所、共同宿泊所、公益質屋、民面委員などの民生対策をたて実施した。
 196181日の夜、釜ヶ崎の路上で1人の労働者がタクシーに跳ねた。警察はまだ生きている労働者にムシロをかけ、まず現場検証をはじめた。それを目撃した労働者たちは「アンコかて人間や」と警察の行動に抗議した。それはやがて暴動へと発展した。「アンコかて人間や」は、釜ヶ崎労働者の人権宣言と言っても過言ではない。事件後、大阪市、府はどう対応したか。三者、大阪府、大阪市、大阪府警が中心になって対策が立てられ、府は労働、市は民生、府警は治安を担当。その象徴が釜ヶ崎の各所に設置された西成署に直結する監視カメラである。
 二つの出来事のその後をたどる中で、今日に続くものを見出したい。(2011.4.16記)

休憩(15分)

講演3:池田浩士(京都精華大学)15451645
天災+人災-暴動<(木賃宿+人間襤褸)× 無政府共産 

 博覧会と暴動とをつなぐものとして、同時代の「社会主義」(より正確には「無政府共産主義」)の動向・実践に目を向けたいと思います。幸徳秋水の「東京の木賃宿」や「世田谷の襤褸市」はあまりにも有名ですが、襤褸市とは似て非なる博覧会への「天皇行幸」のために木賃宿街が抹消される社会で、「大逆犯」たちが語り合ったといわれる「平民(プロレタリア)が大挙して皇居に押し入る」というような事態が、はたしていかにして可能だったか(あるいは、可能と考えられたのか)を、考えてみたい、というのが主旨です。あわせて、日本の歴史のなかで、「暴動」というもの(ローザ・ルクセンブルクの「マッセンストライキ」、幸徳の「直接行動」との関連は?)、反体制側によってどう考えられてきたかも、討論できれば、と願っています。

全体討論16451730

寄せ場学会運営委員会17301800

 

第2日目(201173日(日)9001200

フィールドワーク
案内人:水野阿修羅
集合場所・時間:「フェスティバルゲート」(新今宮駅東口改札を出て浪速区「新世界」側にある巨大遊園地)(大阪市浪速区恵美須東3-4-36) 正面入口階段下に900集合

 

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