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後でわかった、仲間の死。釜ヶ崎では、こんなことがよくある。死の重さと、生きるとは

先月、yさんがよく行ってる建材屋さんに行き、yさんはと、尋ねたら、11月に杏林病院に入院して 亡くなったとのこと。え、どうしてと聞き返した。急に風邪とかで、入院してたらしい。少し前、市更相の前で 会って、元気かと聞いたら、おう。と言葉が返ってきた。彼とは、故郷が、同じ岡山県、年も同じで26年生まれ 同郷で、親近感が湧き、よく、三角公園近くの、ホルモン焼いてるところで、一緒に、飲んで 人生を、語ったものだ。10年ぐらいになるかなあ。飲んでも、仕事はきちっと行ってた。 いい酒で、俺の、愚痴もいやながらも聞いてくれる、やさしさがあった ひげが白髪がなくりっぱだった。俺がいつも苦労がないからだろうと、飲んだ時いつも冷かしていたっけ。 彼の死によって、彼はこの生き方でよかったのだろうか。自分勝手に判断すべきでないが 病院で、一人で亡くなっていく悲しさ、寂しさは、なかったのだろうか。 誰にも看取られずに、死んでいく運命は、自らの責任もあるだろう。 しかし、同じ仲間である俺たちが、見送ってあげたかった。 釜ヶ崎では、友人がいない仲間が、病院に入っても判らないことが多い。亡くなっても、判らない 行路で救急車で運ばれたりすると、まず、わからない 生活保護を受けてる人は、家主とかに、病院から連絡がいくから 判るけど。 何が過去にあったにせよ、見送る人が、誰ひとりいないというのは 悲しすぎる。釜ヶ崎は多い。元気なころ、センターから仕事に行き、ビルも道路も創り、社会に貢献 したにも、係わらず、年がいくと、仕事にも就けなく、野宿を余儀なくされることもしばしばある 人間の尊厳なんか、あったもんではない。 それでも生きるんだ。と言えなくなる俺がいる。 仲間同士、つながらなきゃいけない。人の命の重さ。同じだから 仲間を大切にしなければ、行けないとつくずく思う。 yさん、やすらかに、おすごしください。   のぼるより

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