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釜ヶ崎芸術大学【地理】 第1回

【科目】地理 第1回
【講師】水内俊雄
【日時】1月31日(金) 18:00〜20:00
【場所】太子会館老人憩いの家
【参加者】16人+スタッフ2人
【概要】釜ヶ崎周辺を地図でタイムトラベル。次回のまち歩きに備える。
【メモ/感想】大阪はJR環状線沿線が面白い。次回のまち歩きに向けて今回は釜ヶ崎周辺のことを地図をつかって説明。資料7枚。1.1835年〜。摂津国の地図。尼崎を含む。ココルームは摂津国東成郡天王寺村内ケ墓。対面にあるカマン!は摂津国西成郡今宮村東道。福島区、此花区が昔の人にとっての西成のイメージ。近くの大通り紀州街道は歴史ある非常に重要な道。2.は1の拡大図。「あべの」の表記の定まらなさ。今宮村の本村は今の恵比須町交差点から今宮戎あたり。中心は広田神社。新家が三角公園、今宮小学校、自疆館、天下茶屋一丁目あたり。地図上では田んぼ、畑。天下茶屋は東成郡天王寺村。堺の有力茶商人たちの街だった。堺の人の影響は大きい。木津村は今はなく、川、卸売り市場、少し前の信用金庫に名前が残っていただけ。今の大国町が最寄り駅。長橋、鶴見橋。玉出周辺は勝間(こつま)村。戦争で焼失。イメージもよくなく玉出村に改名された。難波村は浪速区の北側。難波新地、遊郭、繁華街。南に南海電車がきた。3.は江戸時代(1806)。地図でお散歩。四天王寺、西門、左右の道が熊野街道、さらにすすみ一心寺。みんなが知っている地名を言い合い盛り上がる!なんにもない坂がつづき、右手に長町=日本橋、木賃宿街。左折すると一里塚。小川があって鶴見橋。左へ入る細い道が今いるこの建物の前の通りで飛田墓の真上。市更相の向かい少し北側が刑場。カマン!の辺りはその役人が住んでいた。4.は明治37年頃。木賃宿が長町から釜ヶ崎に移ってきたころ。釜ヶ崎は小字(こあざ)の地名。飛田遊郭、飛田墓。5.は明治40年(1907)ごろ。釜ヶ崎の中に大きなタバコ工場。ここが萩小、三徳、北シェルターに。新世界はロシア人捕虜収容所。6.は1921年。木賃宿街が急速に発展。1929年、山王という地名が登場。新今宮の駅はまだ。7.は本邦発公開?1928年(S.3)、最も古い航空写真の一つ。堺筋の予定線が薄く書き込まれている!

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